序幕「かく語りき――sprechen――」  何かすごい事をしたかった。闇を切り裂く聖剣を持ち、星を落とす魔法を唱え、悪しき魔王を倒す……そ んな凄い事を。それは物心がつく前からの、もはや無意識ともいえる自分の夢で、自分の心意気はその為に あるといってよかった。子供の自分はその為になら何でもやった。子供のころの自分は何でも出来た。何故 なら、出来ないという事を知らなかったから。  自分は努力した。  何かよく解らないすごい事をしたいが為に。  けど、やがて、出来ないという事を知った。   人は空を飛べない。この世界に魔法はない。漫画やアニメみたいな事などありはしない。もしあったとし ても自分は主人公になどなれやしない。そもそもこの世界に敵などいない。どうしようもなかった。どうし ようもなくどうしようもなかった。だって、何をすればいい? 努力の仕方さえわからない。魔法? 空を 飛ぶ? どうやって? 信じれば夢は叶うのか? それなら今頃、神様くらいいるはずだ。けどいないのが 現実。コレが現実なのだ。  でも、それでも諦めきれなかった。何か凄い、バカげた、カッコいい事をしたかったから。それが自分の 心意気だから。何故かは解らない。けど、何か凄い事をしたい。それだけが、自分の生きる唯一の意味であ り目的で、だから、諦めるわけにはいかなかった。それが、唯一、自分が愛せるモノだったから。その夢を 諦めていまえば、自分はもう、この世界に留まる理由が無くなってしまうから。そして何より、無性に憧れ ていたから。だから、そんな事はありえないと思いながらも、それでも努力した。それもまた、その他大勢 の一人の行いとは知っていたけど、どうしようもない事はもう解っていたけど。それでも気付かないふりし て、無理に頑張った。どうしようもないと解っているくせに、それでも夢だけを見つめてただ走った。  それはまるで呪いだった。  夢見るあまり夢見いられ、憧れる故に愛焦がれる。愛おしむ程にいと惜しくなり、しかし願いは寝返えら れる。描かれた夢は絵が枯れ果てて、何時しか自分は何者でもなくなり、そして消えて逝くだろう。それは まるで鎖だった。幾ら夢を見ようとも、それでも現実に生きていく他はない。ならばその夢はその身を縛る 鎖となり、その身を腐らせていくだろう。夢を想えば想うほど、いよいよその夢の鎖は重くなり、その身を 擦り減らして逝くだろう。  夢とは呪いであり鎖だった。気付くのが遅かった。でもそれは関係なかっただろう。どのみち、自分には 夢しかなかったのだから。そしてふと気付いたときには、自分は、どうも生き辛くなっていた。  ぼんやりとした、とりとめのなさ。  現実から一歩引いた、浮遊感。  漠然とした、やるせなさ。  茫洋とした、わからなさ。  何となくの、ツマラナさ。  対象のない、空回り具合。  交わらない、平行線。  この世界との、ズレ。  独りで見飽きた、それもモノクロでサイレントな映画を、焦点の定まらない眼で見ている、そんな感覚。  己の意思などない、痛みの無い、摩擦の無い、ゴムのような質感を持った、走っても走っても進まない、 自分視点の夢を見る感覚。  生きてるのか終わってるのかも判りやしない。  まるで生ける屍だ。何となく生きている。如何なる不幸でもそれなりに生きていける。それはとても恐ろ しく、とても空しい。夢がそうであるように、痛みの無い生は、とても空しい。なまじ幸せな故に、それは とても不幸なのだ。  いや、解っている。解っているんだ。ちょっと小奇麗な言葉で着飾って見せたけど、所詮、これは子供の お遊びだ。言葉遊びの道化人だ。自分の生きている場所はここではないと、バカに気取っているだけだ。こ んなのはありふれている、何でもない、その他大勢の暇人の考えだ。他人に言わせれば、ただ甘えているだ けの贅沢言ってる怠け者だ。そんな気取ってたって、現実は容赦なく自分を大人にする。神はいるのか神が いてもいなくても、夢があろうがなかろうが関係ない。。空を飛びたいとか魔法を使いたいとか思っている 人は一杯いるし、そんなの気にせずに生きている人だって一杯いるし、夢を諦めて夢を代用してそれなりに 幸せに生きている人は一杯いるし、夢を諦めても別の夢を目指して一生懸命生きている人も一杯いる。そし てその人達が駄目かと言えば、決してそんな事はありやせず、実際、夢ばかり見てる自分より、彼らの方が よっぽどマシだろう。なのに自分だけが特別だなんて、おこがましいにもほどがある。こんな考えなんて、 ろくなもんじゃない。夢を諦めようとしてそれでも諦めきれなくて。地に足を付けずに生きているだけだ。 ただの遊び人だ。無色だ。ガキの大人だ。気取り屋だ。カッコつけだ。ふらふらと何もせずに生きている。  そして何時しか、自分は努力する事に疲れてしまった。それでも、夢は諦めきれなかった。諦めてしまえ ば、こんなに幸せな事は無いだろうに。それでも、諦める事だけは出来なかった。  そうしていると、何時しか、嫌いなものが無くなった代わりに、好きなものも無くなった。 どんな場所にいてもそれなりに楽しめて、どんな人とでもそれなりに仲良くなれて、どんな食べ物でもそれ なりに美味しく食べれて、どんな漫画やアニメもそれなりに面白がれて――そんな風に、自分にとっての一 番はまるでなく、どんな時でもどんな場所でもそれなりに楽しめる代わりに、特別な一番というものは無く なった。自分には夢しかなかったから。それが手に入らないと悟った時、もう、それ以外に、本当に満足で きる楽しさは無くなってしまったのだ。それが幸福な事なのか不幸な事なのか、それは解らない。  でも唯一つ、恐怖があった。何故ならその生き方は、その他大勢の生き方そのものだったから。夢を諦め、 夢を代用して、その他大勢のように、それなりに幸せに生きている。まるでエサをもらう家畜のように、行 き当たりばったりの幸福に溺れる。特別なものなど何も無く、流されるままに生きて、何時の間にか漂流し ている事にさえ気づかない。  それは緩慢なる終。魂無しに動くモノ。  自分は絶望した。夢を忘れていくことに。  自分は泣いた。それでも夢を忘れきれない事に。  ああ、何もかもがもどかしく虚しく切なく愛おしい。  不幸があるとすれば、唯二つ、ソレ。覚めない夢を見てしまった事。そして夢を忘れきれない事。せめて 捕らえ得る青い鳥ならば、こんなにも追い求めたりはしなかっただろうに。忘れてしまえば、こんなに楽な 事はないだろうに。夢しかない自分が、夢を忘れる。それでも夢を忘れきれず、見えもしない夢を追う。ま るで夢遊病のように。無何有郷を目指す旅人のように。  それはきっと、生ける屍。  決して現実にはなりやしない、覚めない夢の中をただ歩く。何もない、荒野の中をただ歩く。何時しか、 絶望さえも感じなったとしても。辿り着く場所がなかったとしても。  そんな人生。そんな生き方。そんな自分。どうしてだろうか、こんな自分になったのは。  恐らく、自分は、ずっとこうして生きて逝くのだろう。自分はずっとこんな生き方をして、何者にもなれ ずに終わってイくのだろう。  夢は決して叶えられず、夢を代用する事さえできもせず、それでも夢見る事は止められない。  ねえ、きみ。応えてくれ、その偽りに。  空を飛ぶ魔法は無く。敵を倒す聖剣は無く。星は願いを叶えてくれず。護るべきものは無く。生きる為の 目的は無く。何時か来るべき終は避けられず。  そんな世界で生きて、君は、何を語るというんだ。  これは喜劇である。 『レストインピース』  良い日和だった。  時間良し、場所良し、雰囲気良し、人は無し。  強い風が音を鳴らす。その風は冷たく、鋭く、容赦なく旅人を震えさせるけど、その痛みこそ生きている 実感を味あわせてくれる。辺りを照らす色は紅。夕焼けの色。風とは対照的な、てろてろとした、ぼんやり とした、優しい色。しかしそこには共通しているものがある。それらは両方とも、ひどく見る人を物悲しく させる。冷たい風。緩やかな夕焼け。とてもとても、物悲しい。 「……ふう」  一息つく。  棄てられたビル街。そこにいた。  少し離れた場所に、こんな良い場所があるとは思わなかった。灯台下暗しというのだろうか。ここは棄て られた住宅街であった。他にも背の高いマンションがちらほらと見える。ちょっとした都会なら、こういう 裏通りならぬ裏街は珍しくないけど、こんな近くにあるなんて。  ここは静かでいい。ただの静かじゃない。かつては賑わっていたかもしれないこの場所にはもう誰もいな くて、そこら辺に建っている建物の中に人の気配はしなくて、道の上にもまたしない。閑散としていて、風 だけが物悲しく道を通る。建物は長年棄てられていたせいか、壁はひび割れ、窓は砕け、掛けられた看板は 何を示しているのか解らない。道路交通標識は折れ曲がり、また曲がっていなかったとしても、見る人など もういない。かつて当然であったものが、もうここにはない。それは静けさというより、むしろ、寂しさ。  寂しさに錆びついた孤独な街……なんて。 「可哀想に」  と、同情なんてしてみる。  しかし、こんな優良物件に誰も目を付けていないとは。調べてみたところ、その手の話はなかった。やは り、何事も初物でなければ。奇跡などありはしないと思っていたが、成程、あるところにはあるものだ、と 一人頷く。 「さて……」  伸びを、ウン、とした。  日が落ちてしまわない内に、そろそろ行こう。誰かがいると困るし。  と、思っていると……  ギィ―― 「うん……?」  上の方で音がした。建物がきしんでるのかな。気を付けないと。古い廃ビルだし、壁やガラスの一つや二 つ落ちてきても当然…………じゃなかった。  人がいた。屋上に、柵を越えて。それはまるで、空へと飛び立つ、天使のような…… 「って、うわわ」  そんなわけない。ヤバい。あれはマジでヤバい方だ。あれは天使でも何でもない、ただの投身だ。今すぐ に止めなければっ。  コチラは上の人に向かって手をぶんぶんと回して叫んだ。気が動転しているのか、舌が回らない。何とか して、止めろ、とか、待て、とかそういう感じの声を出す。けど、届いてるかどうかわからない。多分、こ のビルは十数階はある。そもそもコッチに気付いているかどうか。  風が吹く。ぞわりとした。寒さにではない。これは皮膚の内側から来る寒さだ。風にたなびく長い髪が恐 ろしいものを連想させる。長い髪? あれは女性なのか? いや、今はそんな事はどうでもいい。声が届か ないならば、とにかく、屋上へ急がなければ。けど間に合うだろうか。いや、とにかく走れ。  建物の中に入り、屋上を目指す。速く上に行くためには勿論。 「エレベーターっ」  は、使えない。というか、電気が通ってない。 「んなアホな」  廃ビルだから仕方ないのか。素早く諦め、階段へ。ビルを駆け昇り、屋上へ急ぐ。子供の頃は道場や山で 鍛えた身体だけど、流石に怠けていたのか、ビル十数階の上りは少し疲れる。流石にコレは間に合わないと 思う。でも、下にいたところで受け止めるわけにもいかないし。なら走ろう。転びそうになる脚にムチを打 って、転ぶ前に足を前に出して、屋上へと急ぐ。そして、やっと屋上に辿り着く。錆びついたドアを力づく で開け、そして、見た。  そこには――  少女がいた。  やけに長ったらしい、地面に届くくらいの髪と、てろてろとした、とりとめのない雰囲気と、世間全般に 興味のなさそうな眼が印象的な、そんな、少女の出で立ち。その人は、屋上の、柵を越えて立っていた。そ れは、夕焼けを背景にした、とても幻想的な風景で、まるで、光の中へ、夕焼けの中へと溶けていくかと思 われた。それはきっと、空へと飛び立つ、天使のように……  そんな事を考えていると、やがて少女もまたコチラに気づいたらしい。無表情な顔に、ほんの少しだけ驚 いたような、しまったというような表情が浮かぶ。イタズラが見つかった子供のような。そんな、あどけな い顔をする少女は、コチラに向かってこう言ったのだった。それはまるで、光がしゃべるように。 「ここは私が飛ぶ場所だ。空に飛びたいのなら向こうで飛んで」  今日の世界が終ろうとする、黄昏の中。  世界全般に興味のなさそうな眼をした、無垢な少女は、毒づきがちにそう言ったのだった。  少女との出会いは、そんな感じだった。
  序幕「かく語りき――sprechen――」……終

 第一幕「誰そ彼女――bulle――」

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